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清水エスパルスのことなどをつらつらと。

静岡新聞「残留への軌跡」からゴトビ政権を想う

年が明けたら新しいチームに思いを切り替えたいので、ゴトビ政権の3年半について自分なりに振り返っておきたいと思いました。

先日、いろいろと物議を醸した静岡新聞エスパルス総括記事ですが。


<残留への軌跡>(上) ゴトビ体制の崩壊 | 静岡新聞

内容としては、

・前監督とチームとの間には溝があったよ
・あまり時間の無い中で監督交代劇だったよ

・最初は固辞していたけど「レジェンド」が監督になったよ
・選手の能力が落ちていて理想のサッカーはできずギリギリでの残留だったよ

・財政は苦しい状況だよ
・ジュニアから高校まで一貫した育成体制を整えるよ

といったところですかね。課題山積の1年を薄く広く取り扱っていますが、盛り込みすぎて話が飛び過ぎな感はあります。

が、とにかく、

「君たちは私を辞めさせるために、わざと無気力な試合をしているのか」

とにかくこの書き方が一部の人たちを「ムキーッ!」とさせたのは間違いありません。実際にその場に記者がいたのかは定かではありませんが、地元新聞の番記者が事実無根の内容を書く事は考えづらいです。

少なくとも「「選手を鼓舞する意味だったのでは?」という擁護に対しては、実際にそのような役割を果たせておらず、やはりダメな発言だったと思うんです。また一部には「ゴトビが言ったのとニュアンスが異なるのかも?」という意見もあるようですが、就任時からずっと遠藤通訳が付いていて、彼をしてそう言わせたのですから、そういうことだと思います(通訳も人間なのでそこでバイアスがかかっている可能性は否定しません)。

結局なぜそこまで関係が悪化してしまったのか?
そこが、解任後に出てきたどの記事を見ても中途半端な印象は否めません。

あの2010年の「大脱走」の後にバトンを受けたゴトビさんの3年半は、とにかくメンバーがめまぐるしく変わりました。
一般的に、それまでレギュラーだった選手がメンバーから外れることに関しては「実力で劣っている」「戦術に合わない」「自分の指示に従わない」等が主な理由だと思います。誰の目にも明らかであれば良いのですが、ゴトビ時代は前述の1番目や2番目の理由では無いメンバーの入れ替えが少なくなかった印象です。

いろんなところで語られていますが、ゴトビさんは自分が理想とする型に選手を嵌めるタイプの監督でした。つまり選手たちは例えそのポジションと自分の得意な部分が違っていても、決められた範囲でのプレーを求められるわけです。パスは「(成功率)100%のパス」を求められる。彼の指示に沿わないプレーをすれば激しい言葉で叱責され、出場の機会を奪われる。そんな事が起きていたと聞きます。(結構エグい言葉も投んでいたようです)

このような状況では、特に若い選手は萎縮してしまいます。

みんな試合には出たいし、少なくとも監督の指示さえ従っておけば試合に出るチャンスは残る、ということで選手は自ら考えることを放棄し、チームも次第に活力を失っていったのではないかと。

そのような状態でも試合結果がついて来れば良かったのかもしれないけど、残念ながらゴトビさんは、戦術が嵌らなかったときや試合中に相手が対策を打ってきたときの柔軟な対応能力までは持ち合わせていませんでした。結果、嵌れば劇的な勝利になるけれど、負けるときは脆すぎるほどの負け試合になる、まさにジェットコースターのような展開が続きました。
「ピッチで試合をするのは選手だ」と突き放す事は簡単ですが、普段の練習でやっていないことを本番でできるはずがなく、練習内容を決めるのは監督なわけで、やはりゴトビさんの責任は大きいと言えます。

もちろん選手が監督に話し合いを求める機会はあったようです。しかし本当の話し合いにはならなかったのでは、と推測しています。理由はゴトビさん自身が(これは欧米のエリート層に共通してよく見られる傾向ですが)「自分の非を認めることは自分のキャリアに傷をつけること」と認識しているかのような言動が多かったからです。問題点を指摘しても論点を微妙にずらしてポジティブな要素を強調して「何も問題は無い」としたり、あるいは「選手のコンディションが悪かった、判定がアンラッキーだった」と言ってみたり、逆に「君らが間違ってるんじゃないか」としたり。(試合後のインタビューやメディア記事等でも散見された光景...)

翻って日本人は「自分の非を潔く認め謝罪し改める」ということを美徳とする傾向がありますよね。ゴトビさんとはこの点で選手やスタッフと相容れなかったのではないでしょうか。選手としては、疑問や考え方を問いかけても明快な答えが返って来ず、自分の力を十分に生かす事ができない、結果に貢献できないばかりでなく、酷い言葉を返されメンバから外されるということで、フラストレーションを溜める機会も少なくなかったのではないかと想像します。そして、そんなことを繰り返す間にも限りある選手生命が消費されていくわけで、苦渋の思いで移籍という選択を取ることになってしまったのでは、と考えます。木山コーチが1年でチームを去った理由、故郷のクラブに戻った小野や高原が再び離れることになった理由、林が複数年契約を1年に変更した理由、太田が最後までサインをためらった理由...結局は同じところにあるのではないかと。

激動の幼少期を過ごしたゴトビさんが世界のサッカー界に名を知られるまでになったのは、頭の良さと相当の努力があったことは想像に難くありません。競争社会で上にのし上がる過程で、前述したようなテクニックを身に着けたのではないかと思います。それが皮肉にもこのチームでは裏目に出てしまった。

ゴトビさんも選手も、チームをもっと良くしたいという思いは同じだったはずで非常に残念です。

もちろん選手側に非が無かったとは思いません。監督が変わっても一向に好転しなかったのがその証拠です。特にゴトビ政権終盤の「すべては監督のせい」とでも言いたげな言動は異常でした。もし降格でもすれば損をするのは選手の方なのに考え方が幼く、戦う当事者としての意識が余りに希薄だった感は否めません。

そして、この辺りはクラブとしてのマネジメントが必要なところだったと思います。フロントが何もして来なかったとは思いませんが、Sの極みの創設者である大場健司さんがダメな状態の例としてよく挙げていた「監督も選手も言い訳ができる状態」を招いたフロントの責任は重いです。もしかするとゴトビさんを連れてきたのは前強化部の望月さんや興津さんで、今の強化部は尻拭いを任された『被害者』なのかもしれません。しかし監督の腹心を連れてくるとか、もっと早めに交代に踏み切るとか、できることはあったはず。残念ながら選手と監督の橋渡し役がいないことも明らかになってしまいました。強化部長の原さんは、そして竹内社長はどう思っているのでしょうか?

今回の苦い経験は、来年以降に生かすしかない、のですが、最終戦のセレモニーで大榎監督も言っていたように「チームとしてどういう方向を目指すのか」をもう一度、少なくともチーム内では認識合わせをしてほしい、と思います。

 

ちなみにゴトビさん、スポーツメディア(番記者除く)やファンに向けての対応は素晴らしかったのですよね。しっかりと教育を受けたのでしょう。東日本大震災後の行動、静岡ダービーでゴトビさんを中傷する幕を出された時の対応、今年の無観客試合でのコメント、どれも完璧だったと思います。そして彫りの深いマスク、ロマンスグレーの髪、非常にフレンドリーなファンへの対応...。惚れちゃう人がいるのもわかります。

 

とまれ、エスパルスも22歳、人間で例えれば若いけれどもう立派な大人です。真のプロサッカークラブとして、成長してほしいと願っています。