ORANGELOGS

清水エスパルスのことなどをつらつらと。

レジェンドと共に(J1から)去りぬ(2)

(1)からの続きです。 

夢よもう一度がダメを押す

大榎さんの監督就任が伝えられ、サポーターは長谷川監督で躍進を遂げた2005年からの数年間の再来を期待しました。それはフロントも同じ思いだったと思います。しかし99年のステージ優勝組が選手として残り、チームのパトロンである鈴与の取締役(06年から副社長)の早川社長とJリーグ内で十分な実績と影響力を持つヤリ手の久米GMが支えるという当時の状況とはあまりにも違いすぎました。

また現実主義の健太さんに対して、大榎さんは"天然”というか、良く言えば「天才肌」の人なのかもしれません。彼自身の中にある守備や攻撃の形を選手たちに落とし込む際、その伝え方が十分でなくイメージの共有といったレベルに留まっていたのではないかと考えています。その指導スタイルは99年のステージ優勝当時のメンバーであればマッチしたのかもしれませんが、実際に指揮しなければならなかったのは、前述したように自分の頭で考えてプレーすることを十分にやってこなかった選手たちだったわけで、残念ながら相性は最悪だったと言えます。

選手たちも大榎さんの言っていることはわかるものの具体的にどう動けばいいかわからず、困惑しているように見えました。自分たちで考え臨機応変にプレーすることはプロとして必要な能力ですが、急にできるようになるわけではありません。特に守備においては顕著でした。ラインを高く保つのはゴトビさんも大榎さんも同じながら、ゴトビさんはディフェンスの選手が自分の持ち場を離れずにいることで破綻を防ぐやり方だったのに対し、大榎さんは選手が流動的にポジションを変えながら戦うスタイルを志向していましたが、選手が動いてできたスペースをチームとしてどうフォローするのか、といった基本的な改善が最後までされませんでした。

「監督さえ変われば」と過信していた自分の弱さに気づかされ焦るばかりの選手たち。思うような結果が出ず、力なく笑うレジェンド監督。スクランブル登板だったとはいえ、ここまで成績を残せないとは...。大榎さんを担ぎ上げた関係者も頭を抱えたことでしょう。

ここでも本来であればフロントが大榎さんの指示をロジカルに落とし込めるような人を置けば状況は違っていたかもしれませんが、やはり手は打たれませんでした。左伴社長が降格の原因として「選手補強の出遅れ」を挙げていましたが、選手ではなくコーチング体制にこそ補強が必要ではなかったかと考えます。「レジェンド」を緊急登板させた手前、無様な試合をさせられないことも、また簡単に解任できないことも織り込み済みだったことでしょう。だったらなぜという思いはどうしても残ります。

余談ですが、就任会見の中で大榎さんは前任者の戦い方に疑問を唱え、「一部」から大喝采を浴びましたが同時に「別の層」を敵に回しました(これについては改めて…)。そして最終的には前任者を大幅に下回る成績しか残せなかった。カッコ悪かったですね...

"一縷の望み"もスーパーマンでは無く

大榎さんの遅すぎる解任を受け指揮をとった田坂監督ですが、限りなく手遅れという状況での交代となり、私はクラブの功労者に対して気の毒なことをしてしまったという思いが強いです(ホーム最終戦での大ブーイングについても)。

田坂さんは自分の戦い方にチームをシフトさせながらも、大榎さんの1年で選手たちが結局身につけられなかった「サッカーの基本」を丁寧にやり直す作業に取り掛かっていました。選手からも「前よりも具体的でわかりやすい」と好評のようで、ここ最近は結果も出始めているように思います。しかしもう一刻の猶予もない状況で残留圏内に飛び込むには「突貫工事専門者」とでも言うような、ある種スーパーな能力を持った人でなければやはり務まらなかった。

ここまで来てしまうと、もう奇跡が起こるはずもなく...。

 

長くなってしまいましたが、大榎さん以降のことに一切触れない記事も、逆に大榎さんにすべての責があるとする意見も、個人的には片手落ちな気がして、自分の中の考えをまとめてみました。

 

appendix

書けたら書く

・選手を増長させた一部サポとマスコミ
・鈴与依存しすぎのチーム状況
・ゴトビさん以降のサポーター内の対立
・で、どーしたらいいのか

 

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